「白状しよう。わたしにとってこれは、最も甘美な告白なのだが、とにかくわたしは本書に盛られた真珠(おならの意)の話に、抱腹絶倒、涙を流すほど大笑いし、すこぶる愉しい時間を過ごした。そればかりか、社交界の気取りまくった場所に、朗々と響きわたる不作法な音の話にも大いに感激したのである。
フロイト信奉者であれば、こんなわたしを「肛門期」の一語のもとに斬り捨てるかもしれない。わたしが依然として子どもであり、尻の間から聞こえてくる音楽にこれほど興じている以上、精神が未発達のままでいると。彼らの言を信じるなら、わたしは大至急精神分析を受けなくてはいけない。そして、診察台に何時間も横になって、しかも何百フランと払わなくてはいけないことになるだろう。
どう考えても、それよりは、「子どもの頃のおなら」といつまでも戯れているほうがいい。これこそ大事な点である。事はなにしろ幼年期にかかわる。子どもの心に結びついている。幼年時代をそのままの新鮮さでいつまでも残しておくことが大切であり、あまたの諸活動、とりわけ芸術を産みだすためにも幼年期を残しておくことは是非とも必要だと考える人たちもいるのだ。
そう考えて、ダン・ラ・ジョワ(愉しんで)おならをしよう。ダン・ラ・ソワ(絹の中に)おならをするのではなく(「絹の中でおならをする」は、ぜいたくな暮らしをする、の意)。おならをするあわれな人びとを(わたしたちのために祈ってください)、当の腸から生じたもののことで苦しめようとする、道学者先生など糞喰らえだ。
・・・中略・・・ロミとジャン・フェクサスは、いわゆる「良識」なるものをひっくり返し、すてきな風を見つけたのだ。さあ、そのすてきな風を帆いっぱいに受けて、われわれも、いざ航海へ!」
―アルフォンス・ブーダール
ロミ&ジャン・フェクサス「おなら大全」
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