成功にあれ失敗にあれ、遅かれ早かれ、時がいずれは与えずにはおかぬ幻滅に対する先見は、ただそのままでは何ら先見ではない。それはありふれたペシミズムの見地にすぎぬからだ。重要なのは、ただ一つ、行動を以てする、死を以てする先見なのだ。そのような行為によってのみ、時のそこかしこに立てられた硝子の障壁、人の力では決してのりこえられぬその障壁の、向う側からはこちら側を、こちら側からは向う側を、等分に透かし見ることが可能になるのだ。渇望において、憧憬において、夢において、理想において、過去と未来とが等価になり同質になり、要するに平等になるのである。
三島由紀夫「豊饒の海・暁の寺」
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