しかし次第にアメリカという国がわかるような気がした。ジャズがわかるにつれてアメリカがわかるような気がするのだ。ぼくたちが聞くジャズは騒々しい。しかしアメリカ人のジャズは少しも騒々しくない。つまり騒々しさを自分の肉体で処理できるだけのものを彼らはちゃんと備えているのだ。それがなんだと聞かれれば、結局それがアメリカ文明だと答えるしかないだろう。つまり彼らは足で地面を蹴飛ばしながらジャズを聞いている。外国の人はそこのところだけを見て、やれ騒々しいとか、やれ下品だとかいう。しかし音楽を感じている心はクラシック音楽を聞く心で感じているのだ。いわばジャズとクラシックとが彼らの体の中では区別されていないのだ。ジャズには本来そういう要素があるのだ。
それは何もジャズばかりではない。フランスのシャンソン、ドイツの民謡、イギリスの民謡も同じなのだ。
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