2010-06-07

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放哉は、一高で漱石の講義を聞き、東大法学部を出て、一流保険会社のエリートコースに乗りながら、三十代の終わり、突然その地位も美しい妻も捨て、あちこちのお寺の寺男として軽々と流れ歩き、最後は小豆島のお寺の奥の院の堂主として、四十二歳で終わる人生をみずから選んだ。ただ無季自由律の俳句だけを杖として。

山田風太郎「神曲崩壊」

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