Honnobassui
yonda hon de kininatta tokoro memo
2010-06-07
127
放哉は、一高で漱石の講義を聞き、東大法学部を出て、一流保険会社のエリートコースに乗りながら、三十代の終わり、突然その地位も美しい妻も捨て、あちこちのお寺の寺男として軽々と流れ歩き、最後は小豆島のお寺の奥の院の堂主として、四十二歳で終わる人生をみずから選んだ。ただ無季自由律の俳句だけを杖として。
山田風太郎「神曲崩壊」
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿