2010-08-05

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時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内奥の核をなしていたのだろうか。あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか。

三島由紀夫「豊饒の海・奔馬」

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