2010-08-27

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美しい肉を我身に見えることはどんな気持だろう。自分の肉の前にひれ伏す人々を見るのはどんな気持だろう。わけても、自分の美しい肉への拝跪が、やさしい穏和な形をとらずに、狂おしい苛烈な崇拝にまで達して、こちらには苦痛としか感じられなくなるとき、その陶酔その苦悶のなかで正(まさ)しく聖性が獲得されるだろう。本多が人生で逸した最大のものこそ、肉をとおって聖性に達する、この暗い隘路(あいろ)だったのである。もちろんそれも亦、ほんの少数の人にしか許されぬ特権であるが。

三島由紀夫「豊饒の海・天人五衰」

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