2010-08-31

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むかしの聡子とこれほどちがっていて、しかも一目で聡子とわかるのである。六十年を一足飛びに若さのさかりから老いの果てまで至って、聡子は浮世の辛酸が人に与えるようなものを、悉く免かれていた。庭の一つの橋を渡って来る人が、木蔭から日向へ来て、光りの加減で面変りがしたように見えるだけで、あのときの若い美しさが木蔭の顔なら、今の老いの美しさは日向の顔だというだけのちがいにすぎない。本多は今日ホテルを出るとき、京都の女たちの顔が、パラソルの影で暗んだり明るんだりして、その明暗で美しさの質を占うことができたのを思い出した。
本多が閲(けみ)した六十年は、聡子にとっては、明暗のけざやかな庭の橋を渡るだけの時間だったのであろうか。
老いが衰えの方向ではなく、浄化の方向へ一途に走って、つややかな肌が静かに照るようで、目の美しさもいよいよ澄み、蒼古なほど内に燿(かがよ)うものがあって、全体に、みごとな玉(ぎょく)のような老いが結晶していた。半透明でありながら冷たく、硬質でありながら円やかで、唇もなお潤うている。もちろん皺は夥しいけれども、その一筋一筋が、洗い出したように清らかである。ややかがんで、小さく小さくなった体が、どこかしらに花やかな威を含んでいた。

三島由紀夫「豊饒の海・天人五衰」

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