リアリズムなどというとひどく強そうに聞えるが、その独り歩きは案外むずかしいらしいことがこれで分る。純正リアリズムというものが存在するとすれば、それは恐ろしく非人間的な条件ーーつまり徹底的な非情の上にのみ成り立つものに違いない。チェーホフなら立派にその資質があった。資格があったばかりでなく、実際に彼は絶対写実のおそらく世界最初の実践者になった。別になりたかったのではないだろう。歌いたい歌がほかにあったはずだ。だが事情やむを得ず、ひとりでにそうなった。まったく透明界に独り目ざめているような人間は、レンズでも磨くよりほかには退屈のやり場がなかろうではないか?
神西清「チェーホフ序説」
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