2011-09-24

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「よし、きいた!」
と、北斎はさけんだ。
「北斎、たしかにお前のまぐわいの図をかいてやるぞ。成仏しろやい」
そして、ふところから、さっきの画帳をとり出した。
雲泉は、ひたと死力をしぼって野分を抱いた。野分はおののく腕を雲泉のくびにまき、両の足を雲泉の背にくみ合わせた。生きながらの菩薩の姿だ。吸いあった唇のあいだから、歓喜のうめきにつれて、血の泡がふいた。
死にゆくものだけがうごき、詩(うた)をうたう。北斎の眼はかがやき、耳は狼みたいに立って、それを見、それを聞いた。薫は凝ったように立ちつくしている。
やがて静寂がおちたとき、同時に北斎の筆もとまった。
「野分、野分」
薫はかけよった。野分と雲泉は、微笑を彫刻したまま、息絶えていた。
(「怪異投込寺」)

山田風太郎『女人国(ありんすこく)伝奇』

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