花々の矜(ほこ)りは咲いてゆくといふことよりも、咲いて来たといふことよりも、今「咲いてゐる」といふ一点に漂うてゐるのかもしれません。かう考へることはいくらか私共を慰めてくれます。なぜなら体験の外に、準備といふ生き方が考へられ、更に現存といふ生き方が考へられるのですから。そして悲痛な一刹那は来ずしてすぎてゆくかもしれないのですから。ある意味で私は楽天主義になりました。模倣も敢ておそれません。「時」さへも!
お見せしたらはづかしいやうな小説も詩も書いてをります。呆けて、それによつて少し健康にされ乍ら。
『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』
(S20.7.18 三島→川端)
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