彼がかつてわが内に信じた優雅は涸れ果て、魂は荒廃し、歌の原素となるような流麗な悲しみはどこにもなく、体内をただうつろな風が吹いていた。今ほど優雅からも遠く、美からさえ遠く隔たった自分を感じたことはなかった。
しかし、自分が本当に美しいものになるとはそうのようなことだったのかもしれない。こんなに何も感じられず、陶酔もなく、目の前にはっきりと見えている苦悩さえ、よもや自分の苦悩とは信じられず、痛みさえ現(うつつ)の痛みとも思われぬ。
それは何よりも癩病人の症状と似通っていた、美しいものになるということは。
三島由紀夫「豊饒の海・春の雪」
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