2010-08-05

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幽暗に泛ぶ女の顔にはまだ名がつけられず、名に先立つ匂いやかな現前がある。それは夜の小径をゆくときに、花を見るより前(さき)に聞く木犀の香りのようなものである。勲はそういうものをこそ、一瞬ではなく永くとどめておきたい心地がしている。そのときこそ、女は女であり、名づけられる或る人ではないからだ。

三島由紀夫「豊饒の海・奔馬」

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