女は、たんに百姓がうたうようにしか歌っていない――たぶん、歌の調子は、せみや藪うぐいすから習ったものであろう――しかも、西洋の楽譜には書かれたことのない微妙な音階や、その音階の半分、さらにそのまた半分のお音階でうたっているのである。
そして、女がうたっているうちに、聴いている人たちは、声も上げずに泣きはじめた。わたしには、歌の文句はわからない。が、女の歌う声とともに、日本の生活の悲しさ、美しさ、辛さが――そこにはない何ものかを悲しげに追い求めるように、私の心に通ってくるのを感じた。目に見えぬやさしいものが、わたしたちのまわりに集まり、震えているように思われた。そして、忘れられた場所と時の感覚が――人の記憶にある場所や時のかんじとはまるで違った――もっと霊的な感情とまじって、しずかにもどってきた。
その時、わたしは、その門付けが盲であるのを知った。
(「門付け」)
『小泉八雲集』上田和夫訳
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